お知らせ
施餓鬼会
| 8月5日(火) | 12:00〜 |
盂蘭盆会
| 8月9日(土) | 10:00〜・13:00〜 |
| 8月10日(日) | 10:00〜・13:00〜 |
| 8月11日(月) | 10:00〜・13:00〜 |
| 8月12日(火) | 10:00〜・13:00〜 |
午前と午後の二座、一座の所要時間は三十五分前後。参加される方は10分前までに受付を済ませてください。
駐車場は台数に限りがあります。満車の場合は近くのコインパーキングをご利用ください。
長崎県佐世保市
高野山真言宗
| 8月5日(火) | 12:00〜 |
| 8月9日(土) | 10:00〜・13:00〜 |
| 8月10日(日) | 10:00〜・13:00〜 |
| 8月11日(月) | 10:00〜・13:00〜 |
| 8月12日(火) | 10:00〜・13:00〜 |
午前と午後の二座、一座の所要時間は三十五分前後。参加される方は10分前までに受付を済ませてください。
駐車場は台数に限りがあります。満車の場合は近くのコインパーキングをご利用ください。
櫨山光輪院は、明治三十三年(1900)、第一世清隆が佐世保の小高い丘に草庵を結んだのがその始まりです。その後、明治四十四年(1911)、信徒の懇請により高野山金剛峯寺の子院の一つであった光輪院の寺号、並びに本尊阿弥陀如来を勧請し、草庵を改め寺院として開山した真言宗の寺院です。
光輪院が建っている丘には昔、櫨の大木が立っていたことから、いつしか光輪院は「櫨山大師」と呼ばれるようになり、それに因って櫨山を当院の山号としています。
佐世保一帯は昭和二十年(1945)6月28日から29日へと日付が代わる頃、アメリカのB29による空襲に見舞われました。それにより、近くが佐世保の中心地、繁華街だったこともあり、周辺一帯は壊滅的な被害を受けました。
周囲が火の海となる中、寺がかろうじて焼失を免れたのは、当時「Z隊」と海軍内部で極秘に称されていた六十人からなる特別攻撃隊、いわゆる特攻隊として再編成されていた海兵達により、必死なる消火活動がなされたためでした。特攻隊と言っても戦闘機や爆撃機など飛行機によるそれとは異なり、「特四式内火艇」と称された比較的大型の水陸両用車に魚雷と自爆用の爆弾を装備した舟艇による特殊なものです。
もともと彼らは特攻隊などでなく、その一昨年の昭和十八年(1938)八月、南方作戦に投入されるべく二隻の大型輸送船にて岩国から出撃していました。ところが、一隻は五島列島で座礁して戦線を離脱し、残ったもう一隻は南方海域に達したところで撃沈されています。そこで座礁した一隻が曳航されたのは、近くの軍港であった佐世保港でした。その後、座礁した輸送船に搭載されていた特四式内火艇の部隊が、そのまま特攻隊として当地で再編成されたのがZ隊です。しかし、Z隊は秘密特殊部隊であったことから海軍でもその情報は秘匿され、その故に隊員名簿や戦史など何一つ残されていません。そんなZ隊の佐世保における居所となっていたのが当光輪院でした。
折しも佐世保が空襲に見舞われた時、彼らは迫りくるアメリカ軍を近海で迎撃する決死の出撃に備え、当院に止宿しつつ日夜特攻訓練に励んでいました。そのほとんどが若い特攻隊の海兵たちが総出で火消しに奮闘。屋根瓦を突き破って落下し火を吹く焼夷弾による火災をついに鎮火し、寺本堂を守り抜いてくれたのです。その後、Z隊は鹿児島県志布志に移動となって出撃命令を待っているなか、昭和二十年八月十五日の終戦を迎えたのでした。
敗戦後、Z隊に所属した元特攻隊員と当寺との交流は続けられ、昭和五十七年(1982)には全国の元隊員が志を合わせ、共に戦った戦友の慰霊のためと「特四式襲撃隊員之碑」が境内に建てられ、五月二十七日をもってその慰霊の日と定めています。
現在、山号の由来となった櫨の大木はもはやありませんが、光輪院はおよそ四百家の檀家の方々に支えられるささやかな檀家寺として、今も宮地町の小高い丘の上にあります。また九州八十八ヶ所百八霊場の第七十二番札書となっています。
また、特定の宗旨宗派にこだわることなく、広く仏教とは本来いかなるものかの仏教講義を、不定期ではありますが年三回講師をお招きして開いております。そこで印度や中国、そして日本の歴史に仏教がどのように関わってきたか、そして我々の文化・風習の淵源や背景にどれほど仏教が存在しているかを紹介。また通仏教的・全宗派的に古来尊ばれてきた経典を直接皆様とともに読み、学ぶことによって、少しでも多くの方々に仏教に触れていただく機会を設けております。
春秋の彼岸会には、特に仏教に限らず、日本ばかりでなく世界においても広く様々な分野の第一線で活躍されている方々をお招きして講演会を設けています。
当院は真言宗寺院ではありますが、宗旨宗派を問わず多くの方々に開かれた寺を志しております。仏教にご興味のある方はもとより、たとえば亡くなられた親族などの後をどのようにすべきか、家の墓や仏壇の扱いに悩まれている方は遠慮なさらず、気兼ねなく当院にお尋ねください。
| 3日 | 13時 | 毘沙門天 護摩祈祷 |
| 18日 | 13時 | 観音菩薩縁日 |
| 21日 | 12時 | 弘法大師月並御影供 |
| 28日 | 13時 | 不動明王縁日 |
| 1月 | 3日 | 毘沙門天 新年初護摩祈祷 |
| 1月 | 21日 | 新春大般若祈祷 / 初大師 |
| 2月 | 3日 | 星供(節分) / 豆まき |
| 3月 | 18日 | 仏器磨き |
| 3月 | 20-21日 | 春季彼岸会 |
| 4月 | 21日 | 弘法大師御入定正御影供 |
| 6月 | 15日 | 花祭り(弘法大師降誕会) |
| 7月 | 21日 | 大般若土用祈願 |
| 8月 | 5日 | 施餓鬼法要 |
| 9月 | 18日 | 仏器磨き |
| 9月 | 20-21日 | 秋季彼岸会 |
| 10月 | 21日 | 納骨堂 総供養会 |
| 12月 | 28日 | 大掃除 |
| 年三回 | 不定期開催 |
光輪院住職 有森隆紹
2025年7月
昨今、寺との付き合いを今後どうするかがテレビや新聞、雑誌などでよく取り上げられているのを見聞きすることがあります。それは江戸時代以来の比較的新しい習慣ではあるのですけれども、従来それがほとんど当たり前とされてきたように、どこかの寺の檀家としてあること、あるいはどこかの寺に葬式をまかせ、そこに納骨や永代供養など頼む必要などないのではないか、というのが大方の論調です。
確かに、率直に言って、現今のほとんど多くの寺が、言ってしまえば単なる家族経営の稼業となって、ただその維持・経営ばかりに終始し、本来の在るべき姿や果たすべき役割を全く見失っています。そこでその経営のため、仏教とは全く関係がなく、むしろ真逆とすら言える言葉・思想をあたかも仏教であるかのように世間に喧伝するばかりとなっているのが現状であると、その日本の寺に起居する私自身も強く感じるところであります。そのような寺やオボウサンの有り様に対し、世間が不信感を抱き、不要論・無用論を唱えるのは当然の流れであるでしょう。
文化財など多数擁する観光寺院を除いて、日本の寺院というものの行く末は、もはや取り返しのつかないところまで来ているようです。
実に悲しいことです、宗旨宗派など問わず日本の寺のほとんど全てがそのような有り様となっていることは。仏教は今、世間一般において先祖供養や祖先崇拝、そして亡者の慰撫のための一装置、一手段となっているかのようです。けれども、それらは儒教や道教など中国における習俗に過ぎず、仏教とほとんど何の関わりもないものです。
およそ2500年もの昔から受け継がれ、語り継がれてきた仏陀の教えの真は、しかし、世の多くの人の助けとなり、この苦たる世間をいかに生きるべきかの強い支えになってきたものです。そしてこれからも、正しく知り、学ぶことすら出来たならば、我々の生きる確かな助けとなってくれる尊いものであります。そこで私は人に、仏であれ神であれなんであれ、拝め、祈って寄りすがれなどとは一切申しません。
当院では、仏教に基づき「少しでもより善く生きること」をテーマとして年に何度か講師を招くなどして、多角的に仏教を知る講演会を設けております。ご興味がある方は、一度でも良いので覗きにきていただければ幸いです。
本年11月、光輪院主催の京都・滋賀団体参拝旅行を企画しております。参加を希望される方はお申し出ください。
11月3日護摩法要終了後、14:00前に出発(貸切バス)
ゼンリンミュージアム(予定より早く出発できれば) → 門司港18:30到着
11月4日 神戸港(7:30出発) → 随心院 9:00 → 東寺 10:15(九州外から参加の方乗車予定地) → 11:30 リーガロイヤルホテルランチビュッフェ 13:00 出発 → (南禅院・京セラ美術館・京都国立博物館・樂美術館・源光庵他複数候補の中から2ヶ所 ※美術館博物館の展示内容が未定のため) → 17:30 智積院で夕食・宿泊
11月5日 8:30 三十三間堂 → 10:00 滋賀編・園城院(三井寺)拝観&昼食 13:00 出発 → 14:00 MIHOミュージアム 16:30出発 → 18:30 グランヴィリオ奈良和蔵 宿泊
11月6日 8:30 出発 → 10:00 桂離宮 → 12:00 嵐山昼食お土産 → 14:00 京都障害学習センター 15:45 → 京都駅(九州外参加者又は途中下車希望者降車) → 17:30 神戸港着
11月7日 新門司港 7:30 着 → 九州国立博物館(展示内容による) → 昼食 → 中冨記念くすり博物館 → 光輪院
「墓じまいしたいけど本当に問題はないだろうか」、「墓じまいした後の遺骨の処理をどうしたらいいかわからない」、「自分が亡き後はその骨をどうしても残す必要はあるのか」など、今多くの人が悩まれていることのようで、ネットやテレビでもその是非についての意見は相別れ、その真偽についての情報も錯綜しております。
ここ光輪院には、亡くなった方々の遺骨を祀るための霊安堂(納骨堂)があります。
当院の霊安堂はそもそも、大東亜戦争末期、昭和二十年六月における佐世保空襲にて無惨に命を奪われ、しかしその身元が不明のままとなった方々の遺骨、いわゆる無縁仏を祀るために昭和四十一年に建設されたものです。戦争中に軍・民ともども多くの命が失われ、終戦を迎えて二十年余りを経て復興されてもなお佐世保の街と人々に残された深い戦争の傷を癒やすため、それはどうしても建設されなければならないものでした。寺の本堂なども空襲により甚大な被害を受けたままとなっていた当時、空襲によってひどく傷んだままとなっていた本堂や庫裏の建て替えなど差し置き、まず着手されたのが無縁仏を祀るための霊安堂、いわゆる納骨堂の建立でありました。
そして現在、諸事情により「墓を持つまでは出来ないけれども遺骨はなんとか残して供養したい」という方々のご希望に応えるためのものとなっています。
しかしながら、現在、納骨堂がそれほど大きなものでないために、もはやその空きがありません。そしてまた当院では現在、亡くなった方の遺骨を強いて残す必要はない、と日頃から檀家や信者の方々にお伝えしております。それは遺骨に亡者の魂、霊、思いなどが宿ることなど決して無く、執着する必要も価値もないと仏教では考えられており、実際その昔の日本でも遺骨や墓に執着する習慣など一般にありませんでした。日本人が骨にこだわるようになったのは、大戦以降のことであると考えられます。
そこで今や、何故かはわからぬとも社会的習慣として幼い頃から「遺骨は残さなければならないもの」・「墓は必ず作らなければならないもの」と教わって、自らもそう思うようになっている。しかし、諸般の事情によって墓を持つことは出来ない、あるいは個人的には墓など不要と考えているけれども親族など周囲から遺骨の行方について色々言われた方が深く悩まれ、当院にご相談に来られることがしばしばあります。
そこまで深刻に思い悩むことはありません。墓を持つことを希望されず、また個人として納骨堂に納めることも不本意であるという場合、合祀という手段があります。まずはお気軽にご相談ください。
※住職が所要で不在のことがままあるため、必ず事前に電話あるいはメールにてご連絡いただき、日時をお知らせの上ご来寺するようお願いします。
〒857-0026 長崎県佐世保市宮地町4-5
櫨山光輪院
TEL: 0956-22-4568 / FAX: 0956-25-3305 / MAIL: info@kourinin.jp
開門時間 / 9:00 - 17:00
KORIN-IN temple
4-5 Miyaji-cho, Sasebo city, Nagasaki 857-0026
TEL: 0956-22-4568 / FAX: 0956-25-3305 / MAIL: info@kourinin.jp
Opening hour / AM9:00 - PM5:00
境内・本堂前に約10台駐車可能。
Parking on-site. Can accommodate ten vehicles.
JR九州 佐世保線「佐世保」駅から徒歩約22分(タクシー利用推奨)
松浦鉄道「中佐世保」駅から徒歩約10分
西肥バス「島瀬町」または「松浦町中央公園口」下車、徒歩7分
22 minuites on foot from Sasebo station, Sasebo line (JR-Kyushu).
10 minuites on foot from Naka-Sasebo station, Matsu-ura line (MR).